耳に良く馴染んだ声に名前を呼ばれ、深いところに沈み込んでいた感覚がゆっくりと浮き上がる。

「・・・うー、ん」
「イルミ、ご飯」
「あー、うん、おはよ・・・」
「おはよう」

もぞもぞと枕に頭を押し付けてぐずっているうちに、ほらおきて、とヒソカに唇を落とされた。身体を捩って逃げようとしたが、またふんわりと彼のにおいがしたものだから、思わず力が抜けてしまう。それでも何度か起き上がり、のろのろとした足取りでダイニングに向かう。途中何度か家具にぶつかりそうになったが、後ろからついてきたヒソカがうまくフォローしてくれたので、痛い思いはしなくてすんだ。
引かれた椅子にすとんと座る。なんだかいいとこのおぼっちゃんみたいだと思った。いや、いいとこのおぼっちゃんなのだけれど。
眠気がまだしつこくまとわりついて、うとうとと舟を漕いでいると、先に洗面所だね、とヒソカが言う。その、少し呆れたような楽しんでいるような顔を見て、またゆっくりと席を立つ。今度はヒソカがついていなかったので、二度ほど足の指を壁やらなんやらにぶつけてしまって痛かった。

「目、覚めた?」
「うん、なんとか」
「相変わらず寝起きは駄目だね」
「家にいるときはそうでもないんだけどなぁ」

本当かい?そう、ヒソカは試すように笑うけれど、この家に一人でいるときの彼がどれだけ怠惰な一日を過ごすのかは共通の友人から聞いている。(面倒だから、言い返さないけれど)
しっかり働くようになった脳が、身体に指令を送って、再度ダイニングの席へとついた。それを確認したヒソカはまず、キッチンから二つマグカップを持ってくる。ココアの入った濃い青色のそれを受け取り、礼を言う。彼は自分の分のピンク色をその場に残し、またキッチンへと戻っていく。息を吹きかけるとココアからは甘いにおいが立ち込めて、一気に愉快な気分になった。
戻ってきたヒソカの手には、旬のフルーツが色とりどりに乗ったお皿とサラダボウル。もう一往復してきたときには、丁度よく焼きあがったトーストと、きらきら光る金色の瓶詰め。

「今日は蜂蜜なの?」
「ごめんね、昨日、いつものジャム買い損ねちゃって。蜂蜜は嫌い?」
「大丈夫」

オレンジをつまみながら、ヒソカが瓶に手をかけるのを観察した。少し節っぽくて長い指が蓋に回されて、ぐるりと回る。開け放たれたそこからは、あの独特の香りが立ち込めて、部屋を覆いつくすようだった。次にヒソカは銀色のスプーンを手にとって、金色をひとすくいする。金と銀のコントラストが朝日の眩しい光に照らされて、とても綺麗だった。
はい、と差し出されたトーストを受け取り、蜂蜜がこぼれないように注意しながらかじりつく。むせかえるような甘さと香りに、めまいがしそう。

「すぐに出るの?」
「ちょっと量が多いから、早めに出ようかな」
「なーんだ、もう少し、まったりしてたかったのに」
「だらだらの間違いなんじゃないの?」

ふてくされたような顔をするヒソカを尻目に、黙々と皿の中身を減らしていく。すっかり綺麗になってしまった頃、無線機からアラーム音が短く鳴った。あぁもう行かないと。
ごちそうさま、といえば、ヒソカは相変わらず面白くなそうな顔をしながら黙ってテーブルを片付け始める。その間に仕事着に着替えて、一日のスケジュールを確認する。上手くいけば日付が変わる前に返ってこれるかもしれない。危うく結う津になりそうな気持ちを支えるように、自分に言い聞かせた。

「帰りは夜になるだろうから、鍵は開けておいてね」
「うん」
「夕飯は作って置いといてくれると助かる」
「うん」
「ねぇ」
「何?」
「そんな顔しないでよ」

出にくくなっちゃうじゃないか。
言ってしまうと、途端に寂しくなって、触れたくなって、自分より少しだけ背の高い彼の肩に頭を押し付ける。いつもの香水に邪魔されない、ボディーソープと彼自身の匂いが漂ってきて、たまらなかった。
いつの間にか触れ合った指先はあつくて、そこからじんわり溶けていってしまいそうだ。

「長期の休みって、とれないの?」
「わかんない。どうして?」
「休み取れたら、南のほうの海に行こうよ」
「海なんてすぐそこにあるじゃないか」
「南じゃないと駄目。トロピカルな感じのところ」
「またアバウトなこといって」
「いいだろ?いこうよ」
「全然、いい、けど」

楽しみだな、笑うヒソカはすっかり上機嫌。つられてなんだか嬉しくなって、滅多にしないことなのに、思わずひとつくちづけた。彼は一瞬目を見開いたけれど、次の瞬間には満面の笑みになって、今度は向こうから唇を寄せてきた。
一度目よりは深く重なったそれは、少し息苦しい。
それよりも、どちらからともなく漂う蜂蜜の甘さに、酔い潰れてしまいそうだった。


Sweet_Honey