予定は未定説
(すべては神様のスケジュールしだい)



オレの体には罪悪感と不安というがん細胞が巣食ってる。
例えば仕事を終えて帰ってベッドに横たわったその瞬間だとか、なかなか寝付くことが出来なくてそのまま朝日を見てしまったときだとか、家を飛び出した弟が今何をしているかうわさに聞いたときだとか、道の端で見つけた石ころがやけに気になったときだとか、まぁ、そういうときにその存在を意識する。
ぞわりと、なんとなく落ち着かない気分になる。それがどういう思考のプロセスから来るものなのか、そのときの感情を何と呼べばいいか、なんてことを考え出したら余計に落ちつかなくなって仕舞いには頭が痛くなる。なんて悪循環。
自分以外の人間はその感情の名前を知っているのだろうか。そもそも、そんな感情を知っているのだろうか。待てよ、大体からしてこれは感情なのだろうか。ああ駄目だ、心許ない、また頭が痛くなりそうだ。この頭痛もきっと、がん細胞があるせいだ。

「イルミ」
「うん?」
「トリップしてたでしょ」
「そう、かも」
「最近多いよね」

びっくりした。呼ばれて顔を上げれば目の前にヒソカがいて、なんていうかもう、驚いた。たぶん表情には出なかったはず。こういうときばかり、自分の表情の乏しさに感謝してしまう。
目の前に突然現れた(実際はずっと居たんだろうけれど)ヒソカは、俺の横たわるソファに背中を預け、いつだったかにクロロが置いていった随分と年季の入った本をぱらぱらと捲っていた。(読んでいるかどうかは定かではない)


ヒソカは、変だ。


これは紛れも無い事実で、具体的な部分を上げれば数え切れない。それでもあえて上げるとすれば、快楽殺人者で、悪趣味で、浮気性で、なんと言っても変態だ。この時点で十分すぎるほど変なのだが、これにさらに、手先が器用で実は博識、変なメイクを落とせば美形と言うオプションがついてくるので変さに拍車がかかって、さらに変ということになる。
自分も相当変な人間の部類に入る自覚はあるが、ヒソカの前ではさすがに霞む。時たま、自分はただのお坊ちゃんじゃないかと思ってしまうくらい、ヒソカの変さは異常だ。


そう、ヒソカからは血のにおいがする。


時折むせ返るような鉄のにおいをヒソカは醸し出す。オレの体にも染み付く、血のにおいを。
けれどそんなオレでも、ヒソカの血のにおいにはぎょっとする。
ヒソカの血のにおいは、とんでもなく濃い。
まるで貴族の香水のように、ヒソカは血のにおいを纏っている。暗殺一家の一因であるオレが言うのもおかしな話かもしれないけれど、ヒソカは人を殺すのが好きだから、わざと血を浴びることが多い。そういうわけで人数年季関係なく、ヒソカには血のにおいがしみこんでいるんだと考えている。その証拠に、クロロからはそんなに血のにおいがしない。(きっと具現化した念で戦うことが多いからだ)
それなのにこの男は、自分の血のにおいなんて気にしないで笑顔を見せたり、優しくしたりする。口説き文句なんてそれはそれは手馴れた感じが思い切り伝わってくる。人の肉を裂いた手で料理を作り、人の血をなめた舌でオレに触れる。よくよく考えるとあまりの異常さに気分が悪くなりそうだけれど、不思議と今までそういうふうにならなかったのはそのヒソカの行動が、決して嫌なものではないからだろう。だってヒソカの料理は好きだし、ヒソカに触れるのもなんとなく躊躇うけど嫌じゃない。こいつとの生活のなかで、仕事の話題は普通に出るし(今日が何人で明日が何人だとか)ヒソカにいたってはまれに血を滴らせながら帰ってくることもある。(そういう日のヒソカはご機嫌で、けれどオレに触ろうとはしない)なのになぜだか脳のどこかの部分が麻痺しているのか、俺達は普通の生活を送ってしまう。朝起きて、ヒソカの朝食を食べて、仕事に行って、うまくいけば早い時間に帰ってきて夕飯を食べて、シャワーを浴びて、同じベッドで眠る生活。ただオレの仕事が暗殺で、ヒソカの趣味が青い果実を刈ること(つまりは人殺し)というところ「だけ」が他とは違うところ、という風に感じてしまう。


それはもしかしたら、


「イルミ」
「うん?」
「またトリップ?」
「うー、ん」
「あんまり考えちゃ駄目だよ。キミ、大体悪いほうへ持っていこうとするんだから」
「そうかな」
「基本、ネガティブだよね」
「ヒソカがお気楽すぎるだけだろ」
「ポジティブって言ってよ」
「お気楽頭。一年中頭の中ピンク色なくせに」
「え、それは、ちょっとひどいよ!」


悪いことなんじゃないか、と、思う。


「でもほんと、あんまり考えこむのはよくないよ」

家業とはいえ多くの人を手に掛けて、

「頭の中で考えすぎると、体まで動かなくなるからね」

自分のために殺すこともたくさんあって、

「何か考えるときとか、考えたときは、声に出したほうがいいんだって」

それなのに、

「誰かに話すことで考えがまとまるって、心理学では常識らしいよ。あ、別に、精神病じゃなくてもね」


こうして生きていていいのかな。


「ヒソカ、」
「なに?」
「死のうか、ふたりで」
「なんで?」
「神様に謝りに」
「うーん、もう少しあとにしようよ。この前強盗事件あったでしょ?神様はきっと、あれの対応に忙しいだろうから」
「そっか」

ヒソカは何も考えていないようで、考えているのかもしれない。オレが長い時間かけて見つけた言葉のその先にいつも簡単にいってしまうから。ヒソカが考えない分、オレが考えているんだなんて思っていたけれど、その認識は改めたほうがいいのかも。
だからといって、もしオレが考えることをさぼったらどうにもならないことになりそうな気もする。仕事も旅団も世界のことも、全部どうでもよくなって、ヒソカと自分のことしか気にならなくなってしまいそうだ。ヒソカと自分だけの世界。それはとてもいい響きだけど、やっぱり恐くて踏み込めない。
だから、今までと同じように俺は頭が痛くなるほどいろんなことを考えて、罪悪感と不安にじわじわ蝕まれながらも中途半端な位置で生き続ける。
パタン、とヒソカが本を閉じる音を聞きながら、神様に謝りに行くのは、とりあえず再来週あたりにしようとカレンダーに予定を書き込んだ。