ドラマティック
ヒソカはたまに映画を借りてくる。何の脈絡もなしに、唐突に。
あれが見たい、とか、気になる、とかそんなこと一切言わない。気づいたら借りてきたビデオがおいてある。どうも、お得意の気まぐれで借りてくるみたいだけど、俺は気まぐれで映画を見ようとは思わないから、きっとヒソカは映画が好きなんだと思う。
俺自身は映画を見る習慣はないし、そもそも時間があるから映画を見ようという発想自体持っていない。だけどそれは別に、映画が嫌いというわけではないから、ヒソカが映画を借りてくれば隣に座って一緒に見る。ヒソカが借りてくる映画は大体面白いし、たまに好みだな、と思うものもある。
何本か見ているうちに、俺は風景だとか撮り方だとか視覚的に綺麗だと思えるアーティスティックなものが好みなんだな、と気づいた。そのことをヒソカに伝えると、あいつは「そう」とだけ言った。そのときは、きっと大仰なリアクションがかえってくるのだと思っていたものだからすっかり拍子抜けしてしまった、のだけど、それからあいつが持ってくる映画の中に俺がいいなと思うものが増えたように思う。それまでは7,8本のうちに一本くらいだったのが、5本に一本くらいになった、気がする。こういうところがなんと言うか、ヒソカだなぁと思った。
ヒソカが見る映画、というと多分大体の人間はスプラッタとかホラーとか、そういうのを想像するんだろう。現に俺もそうだった。けれど意外にもそういうのがすきなのはクロロのほうで、わけあってヒソカの家に居候している彼もまたふらりと映画を借りてくることがある。とはいってもヒソカのそれに比べればずっと低い頻度だ。
クロロが借りてくるのはいわゆるB級映画で、めちゃくちゃなものが多い。というか、ほとんどわけがわからないものばっかり。それをクロロは、「おおー」と楽しそうに、時折茶々を入れながら見ているのだ。聞いてみると、本当に好きなのは名画座で何度も上映されているような古典映画、それも白黒ならなおいいらしい。クロロ曰く、「いい映画は映画館で見る。家で見るのは突っ込みどころ満載の映画」。いちいち映画に突っ込みを入れるのが楽しいそうだ。
しかしそんな彼が定期的に借りてくる映画の中にも、名作と呼ばれる映画がある。これはヒソカが教えてくれたことなのだが、それを見るのはクロロが落ち込んでいるときらしい。落ち込んでるというか、気分が沈んでいるというか、とにかくいつものクロロじゃないときにクロロはその映画を借りてきて、暗い部屋の中ギャング同士の抗争を描いたそれを見る。そのときのクロロはまったくの無表情で、いっそ悲愴感あふれる表情でもしてくれたほうがいいくらいなのだ。罠にはまった男が車内に残されたまま車ごと蜂の巣にされる映像が、あの真っ黒な瞳に何度も繰り返しうつされる様子は、さすがの俺でも見ていてぞっとする。
じゃあ、ヒソカが借りてくるのはどんなものかというと、あいつが借りてくる映画の大半はラヴストーリーだったりする。べたべたの、ハッピーエンドで終わる映画ばかり。見ていると、幸せというのはテンプレートで存在するんじゃないかと考えてしまうほど、どの映画も主軸が似たりよったりしている。
それをヒソカは遠い眼をしながら見る。まるで思いを馳せるように。何かを慈しむように。抱き合って愛をささやく恋人たちを、見守るような目であいつは映画を見続ける。よかったね、といいたげに。
それに付き合う俺もまた、恋愛映画を見る機会が多い。現に今も仕事終わりの真夜中に、薄暗くした部屋の中で恋人たちの密会を覗き見ている。クロロはもう寝てしまっているらしい。
少し古い画面の中、スーツを着た男がイブニングドレス姿の女の手をつかみ、抱き寄せる。戸惑う女に気づきつつ、男はその耳元へ唇を寄せ、愛の言葉をささやいた。あいしてる。何度も何度も、説き伏せる。
気になってちらりと隣を伺うと、ヒソカ例によって例の表情で物語の成り行きを傍観している。夜目が利くからといっても暗がりの中で見るヒソカの表情がいつもと違って見えることに変わりはない。少し細められた目元、唇が描く曲線は添えられたての所為で隠れている。相変わらず、そこら辺の俳優よりいい顔をしているな、と思った。
不意に視線がぶつかる。凝視していたのに気づいたらしい。いや、とっくに気づいていた上で俺の気が済むまで好きにさせておこうと思っていたのだろう。けれどあまりにそれが長時間で怪訝に思ったのだ。最近、ヒソカの考えていることがわかるようになってきた気がする。ただ、ヒソカが何を考えているか考える余裕が俺にも出てきた、ということなのかもしれないが。
「映画、飽きちゃった?」
「んー」
「まぁちょっと単調だよね。トラブって、仲直りして、トラブって」
外れかな、そういって後ろに伸びをするヒソカの横顔を見ながら、俺は思考する。
「あのさぁ、」
「うん」
「俺たちってあんまり、喧嘩とか、ないよね」
「喧嘩したいの?」
「そうじゃなくて、それが俺たちには当たり前なんだと思った」
俺の言葉に反応して、ヒソカの半分しかない眉毛がぴくりと動く。たまに見せる、少し険しい表情。あ、もしかしてこれ地雷? しかし一度踏んだものをうまく誤魔化すなんて、俺はヒソカじゃないからできない。だから俺は言葉を続ける。画面の中で、女が男に平手打ち。
「俺はそういう経験全然ないからイメージでしかないんだけど、こういう映画見るとさ、俺たちの当たり前が他の人の当たり前じゃないってことを再認識するんだ。でもほら、ヒソカ自身は他の子とかにべったべたなこととかするよね。そういうの俺にはあんまりしないよな、って思うとさ、また、違うんだなっていうのがはっきりわかって」
「つまり、現状が不満?」
「違う。不満とかじゃないんだ。ただ、わからなくなる」
「…・・・そう」
「うん」
そうこうしている間に映画はラストシーン。熱い口付けを交し合う恋人たちのバックに音楽が流れて、次第に暗転。スタッフロールの始まりを確認することなく、風呂はいる、と俺は浴室へ向かった。すれ違ったときに横目で見たヒソカは、珍しく眉間にしわを寄せて、いつもは上がってる口角も真っ直ぐ一文字に閉じられている。
冷えた体をシャワーで温めながら、髪でも切ろうかと考えた。邪魔だし、洗うのも大変だし、手入れも面倒だ。別に切ってもいい。ポリシーがあるわけじゃない。だけどヒソカが好きだというからそのままにしている。結局そんな理由なんだ。それ以上のものなんて、必要ないんだ。なのにどうしてだかっ最ナ違和感にかられてふと不安になる。例えば夜中に目が覚めて、あたりが真っ暗で無音だったとき、本当に自分は朝に向かっているんだろうかと不安になるような感覚。自分だけ夜に取り残されてしまったんじゃないかという焦燥。そんなものに少し似ている。自分の位置と進むべき方向を見失ってしまうんだ。
長く息を吐いて、髪についた水気を切る。いつも風呂上りはヒソカが髪の手入れを勝手にしてくれるのだけど、今夜はおそらく望めないだろう。それが悲しいか寂しいかよくわからなかったが、しいて言うならひどく物足りないと思った。
ろくに髪も乾かさないまま浴室を出てリビングに戻ると、数十分前と同じ状態でヒソカがそこにいた。エンドロールはすっかり終わっていて、黒い画面ばかりが続く。消さないの? と声をかけようとしたところで、うつむいたままヒソカが口を開いた。
「僕は、他の誰かが僕に興味を持つように仕向けるのがすき」
「うん」
「だから女の子には精一杯誠実に尽くすし、彼女たちが望むようにしてあげたいと思う」
「うん」
「でも、イルミにはそうじゃなくてね、君には、僕がどれだけ君を想っているか知ってほしい」
「う、ん」
「極端に言えば、知ってくれてさえいればいい。そりゃあ、まったく君が関心を持ってくれなかったらそれはそれで嫌なんだけど」
「……お前のことは、どうでもよくなんて思ってないよ」
きっと、俺が風呂に入っている間中ずっと考えていたんだろう。俺がなんとなく言った言葉に真剣になって、柄にもなく悩んで。俺自身だって理解しかねているこの感覚を必死に追いかけたんだろう。怒っていたら、と考えていた自分が少し情けない。
そう思うと、元気をなくしている目の前のヒソカが妙に小さな存在に見えて胸の辺りがじくじくした。多分、これは罪悪感だ。
ごめんね、変なこといって。いわなくてもよかったのに。きっとそのうち忘れてしまうようなものだったのに。そんなもののせいで困らせて、ごめんね。
そしてその謝罪の言葉を口に出せない俺は、相変わらず卑怯者なんだ。ヒソカに甘えてしまっている。
「ヒソカ、もう寝る?」
「髪、そのままだといたむよ」
「でも面倒だし。ほっといても大丈夫」
「駄目だよ! ほら、乾かしてあげるから」
打って変わって笑顔を見せるヒソカに誘われて腰を下ろした。ブラシ、コンディショナー、その他もろもろを用意したヒソカは、優しく俺の髪に触れる。
「せっかく綺麗な髪なんだから」
ヒソカの高い声が深夜の部屋に響く。早速冷え始めた爪先をこすり合わせながら、俺は言葉をさがす。
「惰性のまま引きずるのは簡単だけど、保つのは結構難しいんだよね」
「それって」
「気づかせないようにがんばってる僕も僕だけど、これでも結構、いっぱいいっぱいなんだよ」
ぽつりとこぼしたヒソカに、とっさに謝った。いろいろ思うところはあったけど、それらどれもが言い訳がましくて言葉にはできなかった。俺だって、いつまでたっても余裕なんてないんだ。
意外にも不器用な俺たちは、もどかしい思いを抱えながらたくさんの言葉を飲み込んで、どこにあるかさえわからない先に向かって歩き続ける。何度も夜の暗闇に惑いながら、見たこともない夜明けと足元だけを照らす淡い光を支えにして。その先に何かあるか信じていないと崩れてしまいそうになる自分の弱さに気がつきながら、それでも。
しばらく映画は見たくない。そういうヒソカの表情は、背中を向けていたせいでわからなかった。
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