たまねぎの森に眠る君
(王子様は、いったい何を思ったの?)



クロロ=ルシルフル イン 八百屋。
想像しろ。そして吹き出したやつ、そう、そこのお前、除念が済んだら覚えてろ。顔は覚えたからな!
何が悲しくて幻影旅団の団長、蜘蛛の頭と恐れられるこの俺クロロ=ルシルフルが八百屋なんぞに出向かなければならなかったのか。
アンサー。

「買ってきたぞー」
「悪かったね、切らしてたの忘れてて」

居候先の家主、変態奇術師のヒソカが買い忘れた夕飯の材料を買いに行くため。
正直なところ八百屋で買い物(正しくはお使い)なんて初めてで(だっていつもはシャルがいってくれる)、ちょっとばかり楽しかったなんて思ってしまったのはいわない。いくらヒソカの人使いがうまいからといっても、そもそも団長というのは命令する側であって、される側じゃない。居候は働くべきなんじゃないかという疑問は、この際無視する。団長の美学。これこそが最重要なのだ。
ヒソカのドジのフォローを入れてあげる俺、いい人! と心の中で感涙しながら品物が入った袋を渡す。

「うん、そろってるね。助かったよクロロ」
「ところでイルミは? まだ帰ってきてないのか?」
「少し前に帰ってきたけど、怪我したらしくて夕飯まで寝るって」
「怪我? 大丈夫なのか?」
「怪我自体はかすり傷みたい。実際疲れただけなんじゃないかな。それよりきみさ」
「なんだ」
「帰ってくると、ただいまの次はイルミのこと聞くよね」
「悪いか」
「いや、ただ、小学生が帰ってきておやつせびってるのに似てるなぁって」

何たる無礼! ククッ、と心底おかしそうに笑う目の前の変態に、一発くれてやりたくなるが、そこは俺、ぐっと我慢。イルミが寝てるって言うのなら騒がしくしたくないし、疲れてるのだったら、なおさらゆっくりさせてやりたい。大の大人に、過保護すぎるだろうか。でもまぁ、相手はイルミだし。
俺が絡むのを躊躇っているのを悟ったのだろう、ヒソカは逃げるように袋を抱えてキッチンに戻る。芝居がかったその動きに、さらにいらっとしたが、我慢、我慢だ。


だー! と叫びたくなる気持ちを抑えるためにも、イルミの様子を見に行くことにする。嬉しい話、イルミは俺の気配に少し鈍くて、寝ているときに近寄っても飛び起きるようなことはまずない。それだけで、思わず口の端がだらしなく緩みそうになる優越感に浸れる。うぇっへっへ、と油断すれば変な声まで漏れそうだ。
起こさないよう、そっと寝室のドアを開ける。薄暗い部屋と真っ白なシーツ。掛け布団が山になっている。丸まって寝ているのか。同じくおこさないように細心の注意を払って顔を覗き込むと、寄せられた形のいい眉が目に入る。よく見ると閉じた瞼にも心なしか力が入っているようにも見える。布団に覆われた口元がどうなっているのかはわからないが、イルミの寝顔はお世辞にも安らいでいるようには見えなかった。ぴくりと小さく瞼が動く。
邪魔してごめんなと謝って、来たときと同じようにドアを閉める。音も出なかったことだし、今のことはなかったことにしてしまいたいな、と思ってしまった。


リビングに戻ると隣接しているキッチンから食欲をそそるにおいが俺を誘った。調子よく、ぐぅと腹の虫が鳴いたので、今度はヒソカの様子を見に行くことにする。暇すぎて、誰かにかまってもらいたいとか、そんなんじゃないからな!

「夕飯なんだ?」
「煮込みハンバーグ」
「あー、だからたまねぎ」

ヒソカは料理がうまい。食べられるかどうか、というレベルではなく、お前もう店だせよといってしまいたくなる出来だ。現に鍋から猛烈にいいにおいが昇っている。

「ねぇクロロ」
「なんだよ」
「せっかくだから手伝ってくれない?」
「げ」
「そしたら早くできるから」

そう言うとヒソカは俺に、先ほど買ってきたたまねぎを差し出す。言っておくが俺は断じてたまねぎが好きなわけじゃない。むしろ視界に入れるのも嫌なくらいだし、願わくばこの世界からすぐさま消えうせればいいと思っている。除念が済んだらすべきことは、一に鎖野郎への復讐。そしてそれが終わったらたまねぎを絶滅させられる念を持った能力者を見つけ出し、そのスキルを奪うことだと決めた。今決めた。
しかしハンバーグとなれば話は別だ! 子供の憧れハンバーグ。しかしそれはあまりにも尊く、子供のみに与えられていいものではないはずだ! 25過ぎてハンバーグが好きで何が悪い! 旅団の頭がハンバーグに心ときめかせて何が悪い!
ハンバーグへの情熱をたぎらせる。ハンバーグのためとあればたまねぎなぞ微々たる物ではないかクロロ! そうだ俺は大局を広く見据える男なのだ!

「皮むいてほしいんだけど、わかる?」
「わかるにきまってるだろ。むけばいいんだろ、……むけば!」

本で読んだことはある。たまねぎには実がない。だから皮むきといってもどこまでという明確な区分はなく、いうなれば個人の独断と偏見で食べられる状態にすることがたまねぎにおける皮むきなのだ。オッケー、俺に不可能はない。
茶と橙の中間のような色の薄い皮を引っ張るとぴりりと音を立ててはがれていく。おお、これは、なんというか、気持ちいい。気をよくした俺はつぎつぎと皮をはいでたまねぎの白い肌をさらしていく。めくれどもめくれども白い肌。変態みたいだな、俺。
そして俺は異変に気づく。

「うー、痛い」
「うわ、やりすぎだよ、これ」
「目が痛い!」
「そりゃ、こうしちゃえばね」

元の大きさの半分くらいになったたまねぎを見ながらヒソカは肩をすくめた。調子乗りすぎ。まったく、団長相手に説教とはいい度胸じゃないか、元下っ端め!
たまねぎは、むきすぎると目が痛くなる、注意。情報がメモリに書き込まれるのと同時に俺は一層たまねぎの絶滅を強く心に誓うのだ。見ててくれ、みんな!
そこではた、と思い当たる。

「イルミって、たまねぎむいてるみたいだよな」
「は?」

いつもより一オクターブくらい高いヒソカの声が返ってくる。思いっきり馬鹿にしてる。むかついたので今度こそすねを蹴り飛ばした。蹴りですんで感謝しろよ!

「え、意味がわからないんだけど」
「だっからぁ、似てないか?」
「えー、わかんない。どこら辺が?」
「感情むきながら、泣いてるところ」

くつくつと鍋の煮える音が聞こえて、暖かい蒸気が部屋に充満している。痛む目を水で洗おうとする俺をヒソカは、手を先に洗わないと余計ひどくなるよ、といさめた。必死で手を洗う俺を見ながら、ぐるりと鍋をひと混ぜする。冬が始まりつつある季節、手が痛むほど水は冷たかった。

「イルミ、泣いてたの?」
「いや、泣いてるみたいに見えただけ。まぁ、いつも泣いてるように、俺には見えるんだけどな」

イルミに対するイメージは、ヒソカと一緒にいるときと、そうでないときとで大きく変わる。
イルミ単体では、俺の前であっても暗殺者、ゾルディック家の稼ぎ頭のイメージという枠を出ない。何も映さない瞳、寸分たがわず急所を射止める手腕。極限まで無駄を削り落とされたその動きは、ぞっとするくらい綺麗だ。限りなく無機質に近い人間、それがイルミのイメージ。
そして、ヒソカと一緒にいるときのイルミは大きく違って、無機質なイメージなんて吹き飛ぶ。あんなに人間らしさを見せるイルミを、俺たち以外のいったい誰が知れるというんだろう。聞いておいてなんだが、そんな存在、俺たち以外に必要ない。もし、知っている人間がいるとすれば、俺はできるだけ残酷にそいつを殺してやりたいと思う。残念ながら、それが旅団の誰かであっても、その気持ちに変わりはない。ほしいものはどうしてもほしい男なんだ、俺という男は。

けれどイルミがあるべき姿は、暗殺者としてのイルミなんだと俺は知っている。そして、ヒソカももちろん、知っている。それでもあいつはイルミから感情を引き出そうとする。
そしてイルミはそれに応えようと、必死で自分の気持ちをヒソカに伝えようとする。それがどんなにつらくても、知る必要もなかった痛みをその身に被ることになろうとも、それでも応えようとする。(レスポンス。それに俺がどれだけ嫉妬してるかなんて、そんなこと、余計に誰も知らなくていい)
だから、この頃のイルミはいつも辛そうなんだ。きっと、押し殺してた気持ちに押しつぶされて、現実とのギャップに惑っている。例えばそれは暗殺者という自分の仕事だったり、跡取りになれない長男という自分の立場だったり、それはいろいろあるんだろう。
俺はそうやって迷ったり悩んだりするイルミも好きだけれど、イルミが辛いのは、いやだ。

「なぁ、」
「なんだい?」
「お前は、イルミを、どうしたいんだ」

気づいているんだろう。イルミがどうしようもなくなりつつあることくらい。誰よりもイルミに踏み込んでいる、お前なら。そうだろう、ヒソカ。
どうって、ねぇ。俺がむいたたまねぎを受け取り、包丁を入れる。

「もともと、感情はあったんだよ。生きていくために、殺していただけで。内心ずっと揺れていたんだ」
「それは、俺だってわかってる」
「今のイルミは押し殺してた感情があふれかえっちゃって、困ってるんだよ。だから僕がついていてあげないといけない。でもいくらなんでも彼だって、いい年の大人なんだから、そのうち落ち着くよ」
「……」

でもね。相変わらず手を動かしたまま、ヒソカは言う。たんたんたん、と、ぶれないリズムがいっそ気持ち悪い。俺はただ、見ているしかない。

「こころの整理がついてお利巧になるイルミなんて、僕は望んじゃいないんだよ」

たん。一際大きく聞こえた音を最後に、ヒソカの手は止まった。綺麗にみじん切りされたたまねぎを皿にうつして、さらに準備を進めていく。気づけば、俺の目の痛みも引いていた。

そして俺は悟ってしまう。ヒソカはイルミをどうかしたいわけじゃなく、どうにもならなくしたいんだ。
今イルミが、どうしようもなく無防備になりつつあるイルミがこの世界で生きていくためには、ヒソカの存在が必要不可欠だ。傍にいるとかそういうところじゃなく、もっと根元のほうで、イルミはヒソカに依存している。きっとヒソカがいなければ、不安定なイルミはそのまま音を立てて崩れていくだろう。
ヒソカのやっていることは、籠の中に鳥を入れたまま、籠ごと持ち歩いて外を見せているのと変わらない。イルミと世界のやり取りは、すべてヒソカを介して行われている。イルミの世界はヒソカありきで成り立っている。(そして俺もまた、イルミにとってはヒソカを通して見える世界の一部に過ぎないんだ)
ヒソカは、イルミが自分がいなければ、どこにも行くことができないようになるのを、望んでいる。優しい飼い殺し。そしてもし、今のところイルミが、ヒソカ以外に唯一持っているつながりをあてに、外に臨もうとしたときは、きっと、

「クロロは、頭がよすぎるんじゃないかな」

にらみつける俺の視線をやすやすと受け流して、涼しい顔でヒソカは言った。
この男ならば、もうひとつのつながりであるイルミの家族を、ゾルディック家を壊すだろう。そこまですれば本当に、イルミはヒソカ以外に頼るすべを持たなくなる。こいつの望む状況が出来上がる。もともと執着心の薄そうに見えるこの男は、こうやって時折、蛇のような目をして何かを欲する。それは主に闘う相手を探しているときなんだが。これはまた、話が、別だ。大体からして、いくらなんでもここまで執着するなんて。
狂ってる。

「クロロ」
「なんだ?」
「使いっぱしって悪いんだけど、イルミ、起こしてきてくれない? 多分ぐずるから、完全に起きる頃には夕飯だよ」

狐か、猫のように目を細めて笑うヒソカ。目のあたりに入った力を抜けないままでいる俺。そして、今もうなされながら眠るイルミ。
答えはどこだ! 本当に、正しい、答えは、どこにある!
胸をかきむしるような衝動のまま迷宮に足を踏み入れようとすれば、その中に入ることすらできないと思い知らされる。問題は俺の手をすり抜けるどころか、かすりもしない遠くにあるんだ。俺はどうしようもなく部外者だ。答えを出すどころか、考えることすらあつかましい。
けれど、俺は。

「……もう少し、寝かせてやろう」

何かができると信じたかった。いや、ただ遠からず来るだろう世界の分断に俺はただおびえているだけだ。イルミから離れたくない。離されたくない。そのために、この不安定な現状がどうにか形を取り繕えるように骨を砕いている。
なんだ、結局俺も、度合いは違え狂っていることに変わりないじゃないか。
クロロの、そういうところも好きだよ。笑うヒソカに返す答えを、俺は残念ながら持ち合わせていなかった。