ただいま、と、久しぶりの実家に帰る。居間に向かうと、そこでは双識が分厚い本を読んでいた。


「あぁ、お帰り」
「ただいまっちゃ」
「この部屋まで顔を見せに来てくれて嬉しいよ、いい子だね」
「いや、こことおらないと部屋にいけないからっちゃ」
「おや、そういえばそうだっけ」
「ちゃ」


視線を上げて、笑顔で帰りを迎えてくれる。この表情を見ると、切り替え切れなかったスイッチが、きっちりと零崎軋識へ変わるような気になる。きっと零崎双識が、自分にとって家族の象徴。


「何か、変わったことはあったっちゃ?」
「そうだね、人識君が数学で百点を取ってきたよ。」
「それは教えた甲斐があったっちゃ」
「しかしながら、社会の点数はそんなに揮わなかったという。歴史だって言うから張り切ったというのに」
「お前は妙なところばっかり教えるからだっちゃ」
「テストに出る知識が全てじゃないだろう!でも悲しきかな、それが世の中だ」
「そう、っちゃね」


そこでちょうどよく腹がなった。今更という気はするけれど、やはり気恥ずかしくなって、思わず目をそらしてしまう。するとレンが少し笑って、残り物でよければ、と台所へ向かった。
暫く待っていると、湯気と一緒にレンがやってきて、余計に腹の虫が騒ぎ立てた。


「なんだ、食べてくるのかと思ったのに」
「あー、なんか、食べるのが面倒で」
「それはいけないね。きっちり食べないと、身体を悪くする」


お前が言えたことか、そう、喉まででかかった言葉を味噌汁と一緒に飲み込んだ。
青白い顔をしやがって。なんだよ、この一週間で、また少しやせたんじゃないか、とか、色々といってやりたいことはあるのだけれど、言ったところでどうせとぼけられるだけだから、何もいうまい。――そうは思うのだけれど、どうしても無視することができずに、ついつい小言をもらして、困った顔をさせてしまう。ああ、そんな顔が、見たいわけではないのに。


「お前は、食わないっちゃ?」
「あぁ。あ、でも」
「あ?」
「アスが食べさせてくれるなら、食べようかな」
「そうか」
「冗談だけどね、って、アス?」
「早く口開けるっちゃ」


ずい、と、レン特製のふんわり甘い卵焼きを突き出す。レンは目を泳がせて、いや、とか、えぇ、とかもごもご何かを言っている。本当に困った顔をするものだから、こちらの気分までおかしくなる。それでもそのまま目で訴えると、しぶしぶといった様子で口を開いた。少し揺れるまつげが、綺麗だと思った。


「あれ、ちょっと、甘すぎたかな」


ゆっくりとそれを味わって、同じようにゆっくりと飲み込んだあと、やはりレンは困ったような顔をするから、たまらない。普通に笑ってくれればいいのに。いつも、弟や他の家族にするような、スキンシップの一部だと、そういって笑ってくれればいいのに。
でないと、ああ、おかしくなってしまいそうだ。


「レン、」


急に立ち上がると、椅子が揺れてがたんと大きな音を出した。その音と呼ばれる声でレンが驚いたようにこちらを見る。決して小さくはないテーブルに無理矢理乗り出して、一気に互いの距離を縮めた。
切羽詰ったような、何かに怯えるような表情で、レンが小さく息を吸う。その姿に劣情が刺激されて、もうどうしようもなくなってしまった。



じわじわとした中途半端な暑さの中、口内に広がる、まだ食べていない卵焼きの甘さだけがやけに鮮明だった。





(この幼い気持ちが、何度だって君を傷つける)