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人の命を絶つには、かなりの力が要るときく。
しかしながら彼が言うには、技術があれば造作もないことであるらしい。
息をするより簡単さ、そう彼は笑っていた。
ぴくりと、兎吊木の眉が動いた。不機嫌であることをあからさまに表情に出して、は、と嗤う。式岸軋騎は、否、零崎軋識は鋭い眼光をいつも以上に研ぎ澄ませ、まるで獣のように兎吊木を睨みつけた。
「俺が、何?」
「っお前がいると息ができねぇんだよ。零崎だって言うのに、あいつは、人を殺せない。」
「それで?」
「レンがぶっ倒れたのは、お前のせいだって言ってるんだよ!!」
何かがはじける音が聞こえた。
兎吊木がその長い腕を鋭く打ち込み、軋識が不意をつかれたように目を見開いて半歩位置を変える。その半歩の隙間から兎吊木はドアを蹴破る様な勢いで双識の部屋へと侵入を果たした。
妙に殺風景な部屋の中におかれたベッドに、双識が横たわっていた。兎吊木と双識の視線が合う。瞬間、どこかが痛み出したように双識が眉を少し寄せ、視線を伏せた。双識君、と声をかけようとしたところで背後から軋識に殴りかかられる。胸倉をつかまれ、罵倒される。そして大きく軋識の腕が振りかざされ、下ろされようとしたそのとき、
「アス、出て行ってくれ」
静かな声が部屋にひびいた。凛とした、意見など寄せ付けない強い意志を帯びた声だった。
すると軋識は大きく舌打ちをして、兎吊木を突き飛ばして双識に背を向けた。俺はお前を許さない、そう、兎吊木にだけ聞こえる声で呟いて、部屋を後にしていった。
「いいやつなんだ、アスは。心配性なのが、行き過ぎるところもあるけれど」
そう、双識は笑った。いつもの伊達眼鏡がないせいで、双識の表情がよくわかる、と兎吊木は思った。まぁ長い付き合いということもあって、今では微妙な双識の心の動きを察することも容易だと思っていたの、だが。
今にも泣き出しそうな空の合間からこぼれる日光で部屋は薄暗く照らされていて、色も何も、なくなってしまったのかと、錯覚しそうだった。
「倒れたんだって?」
「あぁ、ううん、倒れたけれど、立ちくらみみたいなものだし、そんな大げさなことじゃあないよ」
「でも倒れたんだろう?」
「大丈夫、大丈夫だから。垓輔さんらしくもない、そんな顔しないでくれよ」
「そんな顔、してるのか」
「情けない顔だよ、本当に」
双識は笑う。けれど、そこに違和感を感じずに入られなかった。笑っている、けれど、きっと違う。何か隠している、そう、兎吊木の頭の隅で、誰かが囁いた。しかし隠されているのが何かは分からない。このうすぐらい空気のせいかもしれないと思ったが、ただ単に自分が動揺しているからだと思いなおした。動揺しているのだ、兎吊木垓輔は。零崎双識が、倒れたという事実に。そして、零崎軋識の先ほどの言葉に。
光のせいか、双識の顔が青白く見えた。
「あのさ、アスに言いつけられてて、ここから出ないって約束をしたんだ。だからちょっと、こっちまで来てもらってもいいかな」
「全く、構わないよ」
手招きされて、兎吊木は双識の傍らへと移動する。ぎしりと音を立てたベッドに、いつかの夜を思い出した。そして背に回される腕の感触に目を細める。何かに耐え切れないとでも言いたげに、双識はそのまま長く息を吐いた。
「垓輔さんは、悪くないよ」
「・・・」
「アスが勝手に、違う、私が勝手に倒れただけだから」
「何があったんだい?」
「でも、垓輔さん引きそうだなぁ」
「引かないよ、約束する。俺は約束を守る男なんだ」
「嘘吐き」
回された腕の力が強くなる。ますます上がる体温に、妙な気ををこしてしまいそうだった。
「殺せないん、だ」
ぽつりと、双識が声を漏らした。兎吊木にはその表情が見えない。
「どうして」
「わからない。わからないんだ。なんだか、もう、頭が真っ白になる。垓輔さんと会ってから、君のことばかり考えて、いやな事とかしんどいことばかりなんだけれど、そういうのを思い出して悶々として、気づけばそれしか考えていない自分がいて、他の事なんて考えられなくなっていて、どうやって人を殺していたのか分からなくなるんだ。身体は覚えているよ、それは。けれど、体が動こうとするその瞬間に君が浮かんで、しんどくなって、体がとまってしまう。」
「・・・うん」
「もう、わけが分からなくて、頭がパンクしそうでさ。ながいこと息苦しくてそれでこの前結局、倒れてしまったんだ」
「そう」
「引いた?」
「引いてないよ」
「・・・そう」
もういっそ、引いてくれたらよかったのに、そういって、双識はさらに腕の力を強めた。そういえば、こうやって触れ合うのも久しぶりかもしれないな、と兎吊木はぼんやりと考えていた。染み付いたようだった血の匂いの混じらない双識の匂いはとても心地よく、先ほどの動揺が、少しずつ落ち着いていくのが分かる。けれどどうしても、抱き返せない。回せない腕の先で、指が空を掴む。
「垓輔さん、しんどいよ」
「うん」
「しんどい」
「うん」
「・・・つらいよ」
段々と弱まる双識の声をきくうちに、比例して弱気になっていく兎吊木がいた。例えばここで彼女から、電話がかかってきたとしたら、自分はどうするのだろう。いつもはどうしていたのだろう。もう、そんなこともわからない。
薄暗い部屋の中で、まるで怯える子供のように体温を分け合って、いっそのこととけて一つになれればいいのかもしれないと、兎吊木のなかで誰かが泣いた。
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