02 あの人の笑顔


トッテモイイコ

ワタシノジマンノムスコ

カワイイイルミ

サァ、タクサンコロシテキナサイ


目が覚めると、薄暗い路地裏でも地獄の業火でもなく、そこにはただ、見慣れた自分の部屋の天井が広がっていた。
少し身体を動かすと、肩だとか脇腹だとか、色々なところがずきずき痛んだ。あぁ、そうだ、仕事だったんだ。ターゲットを仕留めたあと、不意をつかれて、切られて撃たれて殴られて。窮鼠猫を噛むと言うやつだろうか。どこか小国の諺だと、以前本で読んだ気がする。
怪我なんて、いつからしていなかっただろう。
一人で仕事をするようになってから、消毒液の臭いにもご無沙汰だったような気がする。この歳にもなって、こんな大怪我。情けないやら悲しいやらで、長い溜息が出た。内蔵を傷めたのだろう、身体の内側が痛む。
誰が自分を見つけ出したのかも気になった。
無線機に仕込まれた発信機の電波を、あの機械好きが弟が探知したのかもしれない。
目にかかって鬱陶しい前髪を書き上げる。そのときになって初めて、自分がひどく汗をかいていることに気がついた。そういえば、嫌な夢を見たような気がする。それがどんな夢だったかは、思い出せないが。ただ、苦々しい思いばかりが広がる夢だったということは、なんとなく頭に残る後味の悪さから伺える。
だからだろうか、思考がうまく、まとまらない。
痛む体を気にしながら、ゆっくりと上半身を起こす。
ようやく上がりきった頃、丁度よく部屋の扉が開いた。

「まぁ、イルミ!もう大丈夫なの?」
「母、さん」
「あぁ良かった!あなたったら、もう三日も眠り続けていたのよ!怪我なんてめったにしないのに、一体どうしたって言うの」
「三日も?」

母親は、記憶と違わずきいきい五月蝿かったが、それでも言葉の端々に罪悪感を感じて、小さくごめん、と呟いた。
それを聞き取った彼女は、その綺麗な口元を少し歪ませる。

「あなたに、仕事を任せすぎたのかもしれないわね」

ぽつりと落とされたその言葉が、頭に響いた。
夢が、フラッシュバックする。
少年と、血の海。綺麗な女の人がいる。血が増えるたび、その女性は喜んで、対照的に、少年の顔は歪んで。
――夢?
違う、これは、記憶。まぎれもない、自分の、幼少時代の、記憶だ。
人殺しなんて嫌だった。
初めて人を殺した日、裂ける肉の感触と噎せ返るような血の臭いが忘れられなくて、何度も吐いた。けれど、人を殺さなくてはいけなかった。そうしないと、彼女の、母親の笑顔が消えるから。

(トッテモイイコ  ワタシノジマンノムスコ  カワイイイルミ  サァ、タクサンコロシテキナサイ)

母親の言葉が呪文のように頭に張り付いていた。

「ちょっと、お仕事、お休みしましょう?」
「え?」
「あなたに頼りすぎていたのね、私」
「そんな、」
「いいのよ、ゆっくり、怪我を治してちょうだい。その間は、あの人に仕事を代わって貰えばいいだけだから」

上手く言葉を出せない俺に向かって、母親は少し悲しげにそういった。

(ねぇ、俺、まだ殺れるよ。だからお願い、捨てないで。いい子にするから、お願いだから)

少年の声が頭に響く。痛々しい、心からの叫びが。
心にぽっかりと、穴が開いたような気分だった。
食べるものをもってくる、と部屋を出ようとする母親の背中を見ていると、今の今までは出てこなかった言葉が、するすると出て行った。

「そうだよね、綺麗に仕事が出来ないなんて、足手まといだよね。ごめんね母さん、迷惑かけて」

振り返った母親は、ゴーグルと包帯で殆どを隠されているというのに、それでも分かるほど変な顔をしていた。唇が青ざめて、わなわなと震えている。何が起きたのか、さっぱり分からなかった。どうしたの、と声をかけようとしたとき、弾かれた様に彼女は叫びだした。


「そんなつもりで言ったんじゃありません!」

「私はただ、あなたの身体が心配で、無理をさせていたことに今気がついて、それで、あぁ、イルミ、私のイルミ、可愛い子、あなたに万が一のことがあったら、私は、私は」

「あなたが無事でいてくれるならそれでいい、あなたが帰ってきてくれるだけで、私は十分幸せなのよ!」


はらはらと零れ始めた母親の涙に、ずくりと胸の奥が軋んだ。何かが込み上げる。けれど、それが何かは分からない。母の腕に抱かれながら、ぼんやりと窓の外を見た。空の青さに、今は変わった彼の髪の色思い出して、どうしようもなく彼の笑顔が見たくなった。



(お願い、笑って、安心させて)