03 誰かの温かさ
(殺し屋に、感情なんて必要ない。優しさも、思いやりも、悲しみも、何もいらない。人殺しのあと、自分の手際に悦ぶ気持ちだけがあれば、それでいい。)
そう諭されたのは、何歳の頃だっただろうか。正確には思い出せないが、まだ、自分の親が、家族が、何をしているかよく分かっていなかった頃なのだと思う。父親の淡々とした声と、何の感情も映っていない瞳だけは、やけに鮮明に覚えているのに。
わけも分からず、人を殺していた。一日の殆どを凶器と共に過ごした。そしてそれと同じくらいの時間、身体は返り血に濡れていた。ただ殺した。殺さなければ殺されるから。嫌だと駄々をこねたことは一度もなかった。そうすると、母親の瞳が悲しみに滲むから。
けれど、嫌で嫌で、たまらなかった。
肉を切る生々しいあの感触。この世のものとは思えない断末魔。生温く、生臭い血液。人形のようにぐにゃりと横たわる死体。それらの夢を見て、夜中に飛び起きて、震えの止まらない自分の身体を抱きしめながら、何度の朝日を迎えただろう。毎日律儀に昇る太陽を憎悪した。夜が明けなければいい。明日が来なければいい。しかし幼い願いは、一度として叶えられることはなかった。
そんな我が子の姿に見かねたのだろう、ある日父親の部屋に呼び出され、殺し屋の心を諭されたのだ。傍から見れば、とんでもない教えだったのかもしれない。しかし、まだ幼く、それ以上に家族以外の世界を知らない子供からしてみれば、父親の言葉は絶対で、毎日言われ続けているうちに、すっかり頭にその教えは刷り込まれてしまった。
一度だって、疑問に思ったことはなかった。
むしろ日に日に何も感じなくなっていくことは有難くもあった。今考えてみれば、かなり危うい精神状態にあったのかもしれない。
とにかく、当時の俺は、その言葉に救われたのだ。
(お前は、熱を持たない闇人形だ)
まだ幼い弟の修行が始まったとき、自分がされたのと同じように、言い聞かせた。
(何も感じるな。感じてはいけない。そうしなければ、お前が先に駄目になる。)
それが兄としてできることの全てだと思っていた。まだか弱い弟を守るためには、それしかないと思っていた。
(求めてはいけない。他人と関わってはいけない。関わらせてはいけない。だから、俺にだって甘えたらいけないよ。わかるかい?)
そう言ったとき、大きな弟の銀目が少し揺らいだように見えた。いつかわかるよ、と俯く頭を撫でてやる。子供だからだろうか、自分のそれより、ずっとあつい熱をもっていた。きっとこれもそのうち冷え切ってしまうのだ。自分がかつて、そうだったように。
けれど、それが正解だと信じていた。
それ以外ことなんて、考える余地もなかった。
だから、誰かの温かさを感じることなんて、人生のうちにありえないと思っていた。だって、そんな必要どこにもない。
なのにあの男は、その当たり前をいとも簡単にぶち壊した。
やたらとべたべた触ってくるし、寝ていると必ず、隣に潜り込んで来る。初めのうちは気配を察知してすぐに目が覚めてしまったが、彼はただ隣で眠るだけで他に何もしない。そのうち、いちいち反応するのが面倒になって、放っておくことにした。
誰かと同じベッドで眠ることなんて、想像もしていなかった。
背中合わせで伝わる気配が、あんなにも心地よいものだなんて知らなかった。
そのとき確かに、自分の中の何かが揺らいだ。
それが酷く怖かった。
あと一押しすれば、がらがらと、音を立てて崩れてゆくのだろう。
それが、嫌で、怖くて、
だから、きっと、こうして、俺は逃げ続けるんだ。
あの温かい毎日から、彼の優しい体温から。
(ああ、いつからこんなに、弱くなってしまったんだろう)
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