04 掌の温度
「イルミ、大丈夫?」
「あぁ、そっちこそ、こんなとこまで来て、大丈夫なの?」
「気にするな。友達の見舞いのほうが、何より大事だ」
「団員に見捨てられても知らないからね」
花束と洋菓子屋の箱を持ったまま、イルミはひどい、とクロロは泣き真似をしてみせる。
それを見てみぬ振りをして、早く頂戴、とそのお土産を催促した。
「感謝とか、そういうのないのか?」
「あ、オレ、ここのケーキ好きなんだ。ありがとう」
「いや、そっちじゃなくて」
「ゴトー、オレだけど、ケーキ食べるから皿と紅茶用意してくれる?」
「なんだよもう」
「すぐに持ってきてくれるって」
「あっ、そう!」
「むくれないでよ」
「久しぶりに会ったのに、お前は本当に友達がいのないやつだ」
「ちゃんと感謝はしてるよ。特に、」
「ヒソカのことか?」
「・・・うん」
こんこん、とノックの音が響く。いいよ、と返事をすると、紅茶の香りとともに執事が入ってきた。適当に礼を言って下がらせて、クロロとケーキを食べ始める。
甘い甘いクリームが口の中に広がると、ここ数日で一番安心したような気分になった。それと同時に、大きな空しさが襲ってきたけれど、苺の酸味でそれを追い返してしまうことにする。
「本当にいいのか?」
「いいって、言っただろ」
「ヒソカのやつ、きっと心配してるぞ。この前、また連絡きたし。なんとか誤魔化したけど、完璧に疑ってる声だった。同じくらい、心配してるふうだった」
「うん」
「家にいることくらい教えてやれよ」
「嫌。だってあいつ、そんなことしたら、押しかけて来る」
試しの門をぶち壊す勢いでゾルディック邸にやってくるヒソカを想像したら、少し頭が痛くなった。クロロも同じような想像をしているのか、上のほうを見て変な感じに口元を歪ませている。その百面相を横目で見ながら、何度か息を吹きかけて紅茶を飲む。まだ十分冷めていない紅茶は、舌先をぴりぴりと痛めつけた。
「いつまで仕事休むんだ?」
「わからない。母さん次第かな」
「傷は?」
「結構痛い。気にならなくなるまで、まだかかりそう」
「そっか」
つられたのか、クロロもちびちび紅茶を飲み始めた。時々顔を顰めているところを見ると、彼にとっても、この紅茶は熱すぎたようだ。
ヒソカだったら、このぐらいの温度が丁度いいというんだろう。すました顔をしながら、様になった格好で紅茶を飲むんだろう。そして、それを見つめる俺に気づいて、そんなに見ないでよ、といって笑うのだ。その光景がリアルな感覚で思い浮かべられる。ヒソカの声も、息遣いも、紅茶の香りも、自分自身の動揺も。
あぁどうしてだろう、いつの間にか、あいつのことばかり考えている。今ここにいるのは、クロロなのに。もしこれがヒソカだったら、だなんて、そんなこと。
「イルミ」
「何?」
「ぼうっとして、具合悪いか?」
「いや、大丈夫」
「本当に?」
本当に心配そうな顔をしたクロロが、掌を額に押し付けてくる。平熱の高いクロロの体温が染み込んでくるような感覚がする。熱くて、眩暈がしそう。目を閉じて暫くその熱に浮かされていると、クロロに優しく名前を呼ばれた。離れていく掌に名残惜しさを感じながらゆっくりと目を開くと、困ったように眉を下げたクロロの姿があった。
「ねぇ、クロロ、あいつ、なんて言ってた?」
「イルミがどうしてるか知らないか、隠していたらあなたといえども容赦しないよ、だってさ」
「そっか、このままだと、キミ、殺されちゃうかもね」
「そうだな、まぁ、負けてやる気はないけど」
「クロロらしいや。・・・うん、暫く会えないとだけ、伝えておいて」
「それだけ?」
「それだけ」
顎に手を添えて、いつもの考えるポーズをした後、
「ヒソカのこと、嫌になったのか?」
あまりにそっけない俺の態度を怪訝に思ったのか、クロロは大きな瞳でじっと見つめながらそう言った。話せ、と瞳が訴えかけてくる。決して圧迫感のない、ただ純粋な疑問の感情を伝えてくれるこの眼差しに、実は俺が弱いことをこの男は知っているのだろうか。
「嫌いなのか?」
「・・・わからない」
「そうか」
そしてこの目は、いつだって物事の核心をついてくる。
この感覚は、嫌いという言葉では表現できない。それだけは分かる、けれど逆に、好きかと聞かれても、そうだとは言い切れない気がする。曖昧で、微妙で、こんなの俺らしくない。深く考えると頭の中がごちゃごちゃになって、全てが嫌になってしまうような気分になった。
そんな俺の心中を察したのか、案外お人よしな蜘蛛の頭は、うって変わった明るい顔で最近盗んだ美術品の話を投げかけてきた。美術の類にそんなに教養があるわけではないので、話の半分も理解することは出来なかったが、目を輝かせながら話し続けるクロロは少年のようで愛らしく、決して嫌な印象は感じなかった。
屈託のない笑顔が眩しい。
もしこんな風に笑えたら、ヒソカは喜ぶのだろうか。優しい笑顔を浮かべながら、あの大きな掌で、丁寧に頭を撫でてくれるのだろうか。
そう考え始めたら、ケーキの甘さも、紅茶の香りも、古から伝わる伝説の文献も、何もかも、色が褪せてしまった。
(気がついたら、わからないことだらけなんだ)
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