06 いつかの夕焼け
「イルミ兄さん、お体はどうですか?」
「もう、大分いいよ。歩くのも苦じゃなくなった」
「あの、もし、お時間があるなら」
「何?」
「僕の修行に、お付き合いしてくれませんか?」
鮮やかな振袖をひらめかせ、末弟はおどおどとした様子で話しかけてきた。暫く考えた後、どうせ一日やることもないので、付き合ってやることにした。いいよ、と言ってやると、不安の色が浮かんでいた表情がぱっと明るくなる。その表情は、家を飛び出した銀髪の弟に似ていていた。
「じゃあちょっと、組み手をしてみようか」
「はい」
屋敷の中庭(だと思われるが、馬鹿みたいに広い)に移動して、実力を見がてらに組み手を始める。まだ少し、体に違和感が残るため本調子には程遠いが、幼い弟を相手にするには十分すぎるくらいだった。
素早く繰り出される攻撃を、するりするりと避けながら、たまに気まぐれのように攻撃を仕掛ける。振袖なんてものを着て、よくこうも細々動けるものだと感心した。自分だったら、到底無理だ。面倒になってしまうに決まっている。そういえば、この子の話をしたときに、是非君も、とせがまれた事があったような気がする。さすがに丁重にお断りしたが、あの時の彼の瞳はいつになく真剣で、馬鹿なんじゃないかと本気で疑った。
「わ」
「はっ」
鋭い手刀が頬を掠める。その手を掴み、放り投げると、小さな身体は空中で一回転してから綺麗に地面に戻っていった。
猫みたい、そう言いかけて、やめる。君、猫みたい。そう囁く甘い声が頭に響いた。
「はぁ、はぁ、兄さんは、やっぱり強いですね」
「まあね。カルトは、真面目に修行してるのがよくわかった。最後の突きは、結構良かったよ」
自分より何段も低いところにある頭に手をおいて話すと、照れくさいのか、少しだけその顔に朱が滲んだ。
「こうやって、兄さんに稽古をつけてもらうのは、初めてです」
「あぁ、そうだね、お前の世話はいつも母さんが見ているから」
「兄さんも小さい頃はお母様に?」
「いや、オレは父さんだった。というか殆ど実践。つきっきりで修行なんてあんまりなかったな」
「念の修行も?」
「それはさすがに父さんに見てもらった」
「僕、この前水見式をやったんです」
「なんだったの?」
「操作系でした」
「そっか」
操作系。自分や母と同じように、真っ黒な髪を持つこの子もそうなのか。そう考えると、兄弟の中で唯一父の銀色を受け継いだ三男が、やはり特別に見える。きっとあの子は、父と同じ変化形なのだろう。母が知ったら喜びそうだと思った。
そこでふと、気になってたずねてみた。父さんと同じが良かった?そうすると、小さな弟は少しだけ困った顔をして、ぽつり、と何かを呟いた。
「え?」
「あ、イルミ兄、ちょっとライセンスかしてくんない?」
「ミルキ、兄さん」
小さなその声を聞き返したとき、頭の上から声が聞こえた。声の主は引きこもりのけのある次男だった。窓から身を乗り出していて、そのうち自分の重さに耐え切れなくなり落ちてしまいそうだ。
「どうして?」
「伝説級のフィギュアの情報調べたいんだよ」
「いくら出す?」
「な!いいじゃんか、ただで貸してくれよ!」
「嫌だね。悔しかったらお前も試験受けなよ」
「それこそやだね!めんどくさい」
ぎゃんぎゃん怒鳴る姿は感情が昂ぶったときの母によく似ていた。そういえば彼も黒髪だ。念を覚えたら、操作系なのかもしれない。まあ、彼に念なんて必要ないのかもしれないが。
次男というせいもあってか、彼はわりと気ままに楽しく生活しているようだった。家業を手伝いはしているものの、あくまで爆弾を作ったりと裏方の仕事ばかりで表にはあまり出てこない。ただ趣味をいかしているようだった。ちなみに、ゾルディック家専用無線機も、彼の作品である。
お互い変な風に首を曲げながら会話をする自分たちを、末弟は随分と物珍しそうに眺めていた。
それにしてもさぁ、と、次男が言う。とりあえずライセンスの話は脇においておくことにしたらしい。
「カルトはほんと兄貴に似てるよな。ガキの頃の兄貴みたいだ」
そうかなぁ、と末弟の顔をのぞきこむ。黒い髪に黒い瞳。目元は、どちらかというと三男のほうが似ているように見えた。
まじまじと見つめられて恥ずかしいのか、弟の目は落ち着くことなく泳いでいる。母の後ろについて淡々と返事をしている印象が強かったため、どんな些細な表情の変化も物珍しく、面白く思えた。
あぁ、彼も、そんな風に自分を見ていたのかもしれない。そう考えると、優しげなあの瞳の理由も、なんとなくだがわかったような気がした。
「よし、カルト、お前が試験受けろ。それで、オレにライセンスを貸せ」
「言ってることが滅茶苦茶だなぁ」
「兄貴は五月蝿い。カルトはどうだ?貸してくれたら、好きなフィギュア一体やるぞ」
「・・・いらない」
こんな風に兄弟で話したことが今までにあっただろうか。
自分は大体仕事で家にいることは少ないし、次男は部屋に引きこもり。末の弟は母の後ろにくっついて行動することが殆どだ。
どこまでもばらばらな生活。しかしそれでも、兄弟というだけで、こうやって気楽に接することが出来る。そう、少なくとも、この時間、自分の心は安らいでいた。二人はどうなのだろう。自分と同じように感じていればいいと、ただなんとなくそう思った。
視界の端に橙が映る。末の弟の着物の色は、いつか彼に見せられた夕日の色を思い出させた。
(どうだい、綺麗だろう)
地平線の向こうに沈む太陽を見ながら、彼はそう言った。自分にはその良さがよく分からなかったが、ふとあった彼の瞳がひどく穏やかな色をしていて、きっと良いものに違いないと感じた。
ふと、兄弟全員そろったとき、夕陽を見に行こうと思った。
三男辺りは鬱陶しがるだろうけれど、それでも結局はついてくるのだろう。
そうすれば、あの時の彼の気持ちを理解することが出来るかもしれないから。
(あの時、生まれて初めて、感情が乏しいことがもどかしいと思ったんだ)
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