07 はしゃいでいた自分


自分は、ただの道具だと思っていた。
淡々と殺しを繰り返す殺戮人形。自分の価値はそこにあり、それ以上でもそれ以下でもない。
仕事をこなして、両親に褒めてもらうのに精一杯だった。他の事なんて、何一つ視界に入らなかった。否、入れないようにした。そう、愛情に、飢えていた。愛されたいと、必要とされたいと、その思いから必死になって、親の言うとおりに動いた。
そんな生活を続けて二十年と少し。

ある日世界は劇的に変化した。

ある男が現れた。
その男は、溶けてしまいそうなほど甘い笑顔と声で愛を囁いた。最初はただただ戸惑った。例によって表情はいつもの通りだったが、内心の動揺ぶりは自分でも舌を巻くほどだった。それを知ってから知らずか、接してくる男の態度はとても優しく、どうにかなってしまいそうなときが何度もあった。
最初の頃はよく外食に誘われたのだが、オレの目に余る偏食ぶりに、いつしか彼の手料理を、もちろん彼の家で食べるようになった。彼の部屋は、いつもの奇行と奇妙な格好から想像がつかないほどまともで、庶民的だった。特に広くもなく、新しいわけでもない。けれど、風呂場はわりと広く、バスタブもゆったりしていて、こういうのいいね、と言うと、それが気に入ってここにしたんだ、と彼は笑った。
窓の外に見える景色も、彼が住処を決めた理由の一つらしい。
路地裏の少し奥まったところに位置すため、周りに明かりは乏しく、日が沈むとあたりは殆ど真っ暗になってしまう。しかし近くに背の高い建物がないせいで、少し離れたところにある歓楽街の明かりがぼんやりと揺らめくのが良く見えた。月明かりと彩度が抑えられた元極彩色のネオンの光に照らされた彼の横顔は、時折何かを懐かしんでいるように見えた。電車の音が微かに聞こえる。ガタンゴトン。そして海が近いせいで、時折潮の香りが風に乗ってやってくる。その音と香りを感じると、いつもきまって、彼に触れたくなった。けれどそんなことできるはずもなく、のばされた手はいつも行き場もなく彷徨い、下ろされる。
時計の針が日付の変更を告げる頃、広いバスタブがついた彼お気に入りの風呂を順番に使い(いつもあいつが先で、オレがあと)、髪を乾かしてもらってから、同じベッドで眠りにつく。
そうしているのが、心地よかった。
その生活にすっかり慣れた頃には、彼は好きだの何だのと言わなくなっていた。理由は簡単。好きと言われても、何を返せばいいか分からないと、オレが言ったのだ。そのときの彼は、困ったような顔をした後、まぁ、君らしいかな、そう言って頭をかいた。
けれど、オレはいつまでも彼とこうしていられたらいいと思っていたし、そこにある感情がなんだろうと別段変わりはないと思っていた。

否、ただ、踏み込むのが怖かったのかもしれない。

自分の感情について、つっこんで考えるのが嫌だったのかもしれない。色々なものを身体の底に閉じ込めて蓋をしていたから、少しでも開いたときに、詰め込んだものが溢れ出ていってしまいそうな気がしたのだ。溢れ出したら最後、元に戻す自信も、それに向き合う自信もなかった。だから、曖昧にして、なるべく自分の意識の外に追いやろうとした。

(愛されて、浮かれていただけじゃないのだろうか)

けれど、ふとそこまで考えてしまうと、もう駄目だった。愛してくれるから、それだけなんじゃないのだろうか。隣にいるのが彼じゃなければならない理由はどこにある。同じように、彼の隣に自分がいるための理由はどこにある。そんなもの、分かるはずがなかった。
自分の浅ましさに絶望した。
あぁ、これは、オレのエゴだ。
いてほしい、けれど、何をするでもない。子供の我侭よりも、劣悪だった。それでもベッドに入ってしまえば、背中から空気を介して伝わる彼の体温はあたかかく、それに癒されてしまう。そのたびに、ずん、と良くないものが腹の底にたまる感覚を味わった。

(俺は、彼が、好きなのだろうか)

自問自答を繰り返す。答えは一向に出てこない。
もし、彼を好きだとしたら、両親はどう思うだろう。兄弟は、何と言うだろう。もし、彼の暗殺依頼がきたら。考えるだけで背筋が凍った。では、彼が好きじゃないのなら。それこそ、彼の傍にいる理由がなくなる。愛される機会を失ってしまう。どちらにせよ、悪いことばかり頭に浮かんで話にならなかった。酷く中途半端な自分に、嫌気が差す。
やはり、感情も温度も持たない闇人形でいるのが、自分には一番良い様に思えた。

優しさも、嬉しさも、あたたかさも、心地よさも、全て無理矢理、蓋をして。


(そうやって、いつでも自分を殺してきたのだから)